― きへいたい じんや あと ―
元治元年12月 高杉晋作の挙兵後、美東町、大田、絵堂での長州藩内の戦いに勝利を得た後、慶応元(1865)年4月に、奇兵隊は吉田に陣を移して、町全体を要塞化しました。
最初の2年間は、寺などに分宿していましたが、慶応3年に8月に兵舎、稽古場、講堂などのある陣屋をこの地に築いて移りました。
以後、明治2年(1869)11月の解散まで、この地を奇兵隊の本拠地としました。 陣屋では、厳しい規律に従い、400人の志士が、毎朝6時起床、8時まで講堂で漢学を学び、9時からは調練という日課で、外出は隔日に5人組みで昼食後の2時間のみ、吉田地区内に限って許されていたといます。 ●所在 下関市大字吉田 ●交通 JR小月(おづき)駅からバス10分「東行庵入口」下車、徒歩10分
以後、明治2年(1869)11月の解散まで、この地を奇兵隊の本拠地としました。
陣屋では、厳しい規律に従い、400人の志士が、毎朝6時起床、8時まで講堂で漢学を学び、9時からは調練という日課で、外出は隔日に5人組みで昼食後の2時間のみ、吉田地区内に限って許されていたといます。
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