曹洞宗 清水山
東行庵 ― とうぎょうあん ―
本尊
白衣観世音菩薩
由緒
高杉晋作の菩提をとむらうため、また、おうの(後の初代 庵主 梅処尼)のために建てられた庵で、晋作の号にちなんで「東行庵」と名づけられました。
当初は、山県有朋の寄付によって無隣庵(むりんあん 欄外参照)をあてていましたが、明治14年(1881)に毛利元昭、山県有朋、伊藤博文、井上馨など、全国の士の寄付によって、無隣庵の隣の地に新たな庵を建て始め、同17年2月に完成しました。
昭和41年の東行100年祭には、庵の大修理が行われました。 本尊の白衣観世音菩薩は、梅処尼の出家の際に立ち会った曹洞宗 総本山の永平管長久我環渓禅師から賜わったものです。 東行庵には、高杉晋作に関する資料を中心に、維新の志士たちの書画や遺品を数多く収蔵しています。 また、高杉晋作の墓は、国の指定史跡になっています。
昭和41年の東行100年祭には、庵の大修理が行われました。
本尊の白衣観世音菩薩は、梅処尼の出家の際に立ち会った曹洞宗 総本山の永平管長久我環渓禅師から賜わったものです。
東行庵には、高杉晋作に関する資料を中心に、維新の志士たちの書画や遺品を数多く収蔵しています。
また、高杉晋作の墓は、国の指定史跡になっています。
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ぶちしも ぷち知識 無隣庵【むりん あん】 山県有朋が所有地であった清水山のふもとに建てた庵で、山県は、新婚時代をここで過ごしました。
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無隣庵【むりん あん】
山県有朋が所有地であった清水山のふもとに建てた庵で、山県は、新婚時代をここで過ごしました。