浄土宗 玉雲山
法専寺 ― ほうせんじ ―
本尊
阿弥陀如来
由緒
南北朝時代の禅宗の名僧 仏心慧燈禅師の仮住まいであった、川久保の仏心寺が前身といわれています。
その後、寛文4年(1664)に、領主の山内広通の妻の帰命院が資金を出し、霊誉上人を開祖として法専寺と名前を改め、山内家の菩提寺としました。 浄土宗に転宗したのは、元和年間(1615〜24)からといわれています。
法専寺は、幕末の頃 奇兵隊が分宿していた場所で、吉田の町全体を要塞化していた奇兵隊にとっては、南側の砦の意味を持っていました。
血気盛んな隊士たちが、廃仏思想にかられて首を切り落としたと言われる六地蔵が、今も境内に残っています。 今は首を継がれていますが、首の継ぎ目は痛々しいです。
山手にあるお墓の中には、小倉戦争で戦死した 阿川四郎、御手洗青五郎、内田文吉など数名の奇兵隊士の墓もあります。
また、享保の大飢饉の死者を供養した「餓死亡魂の碑(千人塚)」などもあります。
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