中山神社

愛新覚羅社

― あいしんかくら しゃ ―

祭神

愛新覚羅 浩
愛新覚羅 溥傑
愛新覚羅 慧生

由緒

 愛新覚羅家(あいしんかくら け)は、中国大陸 清朝の直系の家系で、溥傑(ふけつ)は、清朝最後の皇帝(後に満州国皇帝)となった溥儀(ふぎ)の弟です。

 溥傑は日本に留学し、陸軍大学、陸軍士官学校を卒業して、戦中は、満州国皇帝になった兄を支えましたが、戦後は戦犯として中国政府に拘留されました。
 しかし日本にいた娘の慧生
(えいせい)が、父親と一緒に暮したいという、周恩来(しゅう おんらい)にあてた手紙により、特赦(とくしゃ)をうけ釈放されました。



祭日

5月第2土曜日 例大祭
2月28日
6月20日
12月4日
命日祭

 その後、溥傑は、中華人民共和国 全国人民代表大会 常任委員および、全国政治協会商会議 常任委員として、中国国交回復および、両国友好に尽力しました。

 浩(ひろ)は、嵯峨公爵家の長女として生まれ、日本と満州を結ぶ親善結婚として、溥傑に嫁ぎました。
 最初は政略結婚の意味が強かったのですが、やがて互いにひかれあっていきました。
 しかし、戦後は満州国の崩壊による逃避行や、文化大革命により拘束されるなど、波瀾の人生を送りました。

 慧生は、溥傑と浩の長女で、学生時代、日中両国の架け橋として自ら中国語を学び、周恩来に直接 父親と一緒に暮したいと訴えた手紙を出し、それが溥傑の特赦に繋がりました。
 ですが昭和33年
(1957)学習院大学生の時、伊豆 天城山中でピストル心中をし、父に再会することなくこの世を去りました。
 その動機などははっきりしておらず、事故であったともいわれています。

 自分が死んだ時には、中国に近く、嵯峨家にゆかりのある中山神社に祀って欲しいとの浩の遺言により、浩と慧生の遺骨を納め、この地に社殿が建てられました。
 そのため社殿は中国の地に向い、西向きに造られています。

 宝物殿には、浩が溥傑と結婚した時に着ていた十二単(じゆうにひとえ)をはじめ、浩や溥傑ゆかりの品々が展示されています。

 今では、溥傑、浩夫妻の愛の深さから、恋愛の神さまとしても敬われています。

●所在 下関市綾羅木(あやらぎ)本町7-10-8
●交通 JR山陰本線 綾羅木(あやらぎ)駅下車、徒歩約10分。
またはJR下関駅から北浦線バス 唐戸または筋川
(すじかわ)経由横野行きで約30分「中山神社前」 下車すぐ
●お問合せ 中山神社 TEL 0832-53-0704

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