中山神社
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国指定史跡 中山忠光墓― なかやま ただみつ はか ― 昭和16年8月1日 指定
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忠光は、幕末に尊攘派公卿の先頭に立って、馬関攘夷戦への参加、久留米藩で投獄されていた真木和泉らを釈放させるなど活躍しましたが、 文久3年(1863)8月、大和 天誅組の義挙(てんちゅうぐみ の ぎきょ)で敗れた後、長州にのがれ長府に潜伏しました。 暗殺者たちはその証明のために、忠光の遺体を下関港から長州征伐本拠地であった広島に送ろうと、運んでいましたが、途中で夜が明けてしまい、遺体を綾羅木海岸に埋めました。 中山忠光の墓碑には、なぜか「藤原忠光」と刻まれていますが、それには2つの説があります。 1つは、中山家をたどれば藤原家の出と言われている説。 もう1つは、長州藩が中山忠光がこの場所に埋葬されている事を隠したかったという説です。 しかしそれならば、小社を建てて「中山社」としたのは、まったく矛盾している様に思えますが。 |
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