亀山八幡宮

伊藤博文夫妻 史跡

「お亀茶屋」跡

 ― おかめぢゃや あと ―

 幕末のころ赤間関は、北前船の寄港地として、海陸物産が集散し西の浪華(なにわ)として、また、平家の官女の血筋の者のいる、格式高い花街として栄えていました。

 その花街 稲荷町裏町の芸者、遊女たちは情に厚く、幕府に追われる志士たちをかくまい、助けていたといいます。




前にある亀の像は、関係ありません

 慶応元年(1865)の初夏、刺客に追われた伊藤博文は、亀山八幡宮の境内の茶屋で、お茶子をしていた末田梅子に助けられたのが、2人の出会いのきっかけで、その1年後に2人は夫婦となりました。

 伊藤博文は明治新政府を樹立し、初代内閣総理大臣として日本の近代化と発展に身命をなげうち、明治42年(1909)、中国(満州)のハルピン駅で朝鮮民族主義者 安重根(あんじゅうこん/アンチュングン)の弾丸に倒れました。

 この場所は、明治の元勲(げんくん)と称えられる伊藤博文と、彼を支えた梅子夫人が結ばれたゆかりの場所です。

 ゛国のため光をそへてゆきましし
     君とし思えど悲しかりけり" 
(梅子)

 梅子夫人は、大正13年(1924)に77才で亡くなりました。

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