亀山八幡宮

お亀明神・お亀銀杏

 ― おかめ みょうじん・おかめ いちょう ―

 昔は島であった亀山八幡宮の一帯を埋め立てるときに、人柱となった遊女 お亀を祀った祠と銀杏です。

 半世紀ほど前、馬関(下関の古称)開発のため、亀山八幡宮の周りの海を埋め立てることになりました。
 ですが関門海峡の流れは激しく、積んだ土俵もすぐに流されて、工事は難航しました。

 困った役人は、関門海峡の流れを鎮めるための、人身御供(ひとみごくう 生け贄――人柱を募りました。

狛犬



 当時、この辺りには、稲荷町裏町という花街があり、お亀という売れない遊女がいました。
 お亀は、幼い頃にかかった天然痘のせいで、あばたが顔に残り、人気がなかったのです。
 お亀は、このまま生きて身を汚すより、自分の命が役に立つならばと、自ら人柱となって海に身を投げました。

 その後、海峡の流れは緩やかになって、埋めたて工事は無事終了し、埋めたてによってできた土地は、広さが八丁(約8万u)あったことから、八丁浜(はっちょうはま)と呼ばれるようなりました。

 人々はお亀さんの功績をたたえ、亀山神社の境内に記念の銀杏の木を植えました。
 木は年輪を重ねて名木となり、『お亀銀杏』と呼ばれるようになりました。

 そして八丁浜ができた事を祝い、五穀祭では「八丁浜えらやっちゃ――」と唄って踊る、八丁浜踊りが始まりました。
 「えらやっちゃ
(偉いやっちゃ)」とは、お亀さんの功績をたたえての唄です。

 いつしか博多にお株を奪われてしまいましたが、シャモジを打ち鳴らしがら「ぼんち可愛いやねんねしな――」と唄って踊る踊りは、この下関が発祥の地です。



 昭和20年(1945)の空襲により、お亀銀杏は焼けてしまいましたが、お亀さんの遺志を継承するかのように、焼け残った株から新しい芽が出て、今では何事も無かったかのように豊かに生い茂っています。
 その名残である古株の跡は、今も残っています。

 お亀銀杏は、秋にはたくさんの実を落し、不思議にもお亀さんのアバタのような無数の斑点があったことから、「お亀ぎんなん」と呼ばれ、明治の頃には、水疱瘡除けのお守りとして、今では無病息災、延命長寿のご利益があるとして、境内で売られています。

光明寺

永福寺

国分寺

南部町郵便局

旧秋田商会ビル

旧英国領事館

末廣稲荷神社

引接寺

亀山八幡宮

唐戸市場

カモンワーフ

唐戸桟橋

ボードウォーク

海響館

あるかぽーと


逆路 ページ上へ 順路

q

亀山八幡宮
詳細

お亀明神
お亀銀杏

山陽道 碑

亀山砲台跡

床屋発祥の地

お亀茶屋跡

大阪屋 玉紫
奉納の玉垣

q
.
.

トップページへ
トップへ