昭和20年代まで「稲荷町」と呼ばれたこの地の町名は、大同4年(809)の創建と伝えられる末廣稲荷神社に由来します。
江戸時代 赤間関(あかまがせき
下関の旧名)は、北前船の寄港として栄え、この稲荷町は裏町とともに、平家の生き残りの官女らとの血縁が伝えられる遊女に端を発した、格式の高い花街(風俗街)として、江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町と並び賞されるほど、広くその名を知られていました。
最盛時には、大阪屋を中心とした花魁芝居(おいらんしばい)や、先帝祭の上臈参拝(じょうろうさんぱい)行事の起点地としても知られ、井原西鶴、十返舎一九、頼山陽など、古くから文人墨客が訪れ、幕末の志士
高杉晋作の愛人 おうの、伊藤博文、山縣有朋、井上馨の夫人は稲荷、裏町の出身でした。 |