巌流島 がんりゅうじま

 言わずと知れた、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したとされる島です。

 正式名称は、船島(ふなしま)といって、その名の通り、島が船の形のようだったからです。
 巌流島の名は、武蔵との決闘で敗れた小次郎の死を悼んでつけられたもので、地元の住民の手でお墓も建てられていました。



 幕末に吉田松陰が立ち寄った時には、まだお墓はあったといいますが、今はなくなっています。
 現在 建っている「佐々木巌龍之碑」は、明治43年
(1910)の巌流島拡張工事の時に建てられたもので、お墓ではありません。

 そのお墓かどうかは分かりませんが、その昔、小次郎の墓と伝えられる卵塔型の石があって、船を島につけたときには、石を蹴って転がし、島を離れるときには、また元通りに直して帰る習慣があったともいいます。

 島の大きさも、幕末の頃までは、今の6分の1程度の大きさしかなく、小さな山に3〜400本程度の松が群生していて、長府藩の御用山になっていたそうです。



 一般人が入ることのできない3分の2(65,500u)の地域は、対岸にある三菱重工の所有で、大正6年より10年の歳月と、当時30万円の巨費を投じて造成した埋立地です。

 左の写真の様に、彦島の三菱造船所から巌流島までは、ほんの目と鼻の先です。

 以前は、釣り人が来るくらいで、ほとんど何もありませんでしたが、2003年のNHKの大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の影響で、大々的に整備され、武蔵と小次郎の決闘の場面を再現した銅像や、人工海浜、遊歩道、休憩所などが造られました。

 5月3日のしものせき海峡まつりでは、巌流島フェスティバルとして、武蔵と小次郎の決闘を再現した寸劇や、野外コンサートなどが行なわれます。

 唐戸桟橋から定期船は、料金が 大人800円で、発券所では「巌流島上陸許可証(100円)」を発行してくれます。



●所在 下関市大字彦島字船島
●交通 唐戸桟橋から 定期船で5分

清盛塚

杉田岩刻画

巌流島

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ぶちしも ここだけの話

 明治14年(1881)下関でコレラが大流行し、市街から安岡にかけ4,500人もの死者を出しました。

 5年後の明治19年(1886)に再びコレラが流行し、医師もコレラにかかってしまったため、無人島であった巌流島に、コレラ患者の仮設病院が建てられ、患者が送られることになりました。

 その後 明治24年(1891)にも流行し、再び患者が巌流島に送られることになりましたが、医師会の中で「患者を巌流島に送り込むということは、人道に反する行為である」との意見が強まり、高尾(現在の中央病院の場所)に仮設病院を設置することになって、巌流島の仮設病院は廃止されました。