下関駅周辺
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萩藩 新地会所 跡 ― はぎはん しんちかいじょ あと ―
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この埋め立てに使用した土は、現在 桜山神社が建てられている辺りの土地を削り取ってあてたといわれ、維新前の土木工事としては、大事業でした。 新地会所は、宝暦12年(1762)の工事着手と同時に、今浦にあった藩の御用所を桜山の下に移転させたもので、その頃はあまり大きな建物ではありませんでした。 第一次長州征伐後、長州藩の藩論は幕府恭順となっており、尊攘倒幕派の主だった人々は、投獄されるか、謹慎させられ、奇兵隊にも解散の命令が出ていました。 1度は博多にまで逃れた高杉晋作も、このままでは日本は欧米諸国の植民地になってしまうと、意を決して下関に戻り功山寺で挙兵、まずこの新地会所を襲撃しました。 「防長回天史」には、 元治元年(1864)12月16日 午前4時ごろ、高杉晋作を始めとする奇兵隊が新地会所に鉄砲を撃ちかけたところ、奉行の根来上総(ねごろかずさ)が出てきて、会所を明渡すから少し待って欲しいというので、一行は東光寺と了円寺に分かれて待機していました。 |
| ●所在地 | 下関市上新地町1丁目 厳島神社 入り口横 |
| ●交通 | JR下関駅から高尾線バス約5分「厳島神社前」下車すぐ または、JR下関駅から徒歩約15分 |
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ターミナル |
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療養之地 |
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旧宅跡 |
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療養之地 終焉之地 q |
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