― しちきょう しせき ひ ―
文久3年(1863)8月18日の政変により、尊攘公卿の三条實美(さんじょう さねとみ)を始めとする七卿は、京都妙法院をあとに、長州へ逃れてきました。
その折(元治元年3月29日)の下関の海防視察の途中に、この桜山招魂場に参拝したことを記念した石碑が、参道脇に建てられています。
その時はすでに、澤宣嘉(さわ のぶよし)は生野の変に加わるため抜けており、錦小路頼徳(にしきこうじ よりのり)は病に倒れて、五卿となっていました。
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