下関駅周辺
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当然 「吉信」の主人は怒って、隊員たちに文句を言いましたが、酔いも手伝って逆ギレした隊員に、返り討ちにあって斬り殺されてしまいました。
主人は「その灯ろうの火を消してやる・・・」と、恨みの言葉を遺して死んでいったといいます。灯籠は報国隊の招魂場に置かれましたが、いくら火をつけてもすぐに消えてしまい、人々から「つかずの灯籠」と呼ばれるようになりました。
その後、報国隊の招魂場が、桜山招魂場にまとめられることになって、つかずの灯籠も桜山に移されました。そして昭和11年に、高杉晋作の銅像が日和山に建てられるにあたって、なにか ゆかりのもはないかということで、桜山招魂場(神社)から、この日和山に移されました。
* * * この灯籠 自体の由来として伝わっている話もあります。
幕末の頃、観音崎に長府屋というよろず問屋がありましたが、営業不振で倒産寸前でした。
ある朝、主人の長左衛門が浜に出たところ、年寄りの水死体があがっており、その手には重そうな財布がしっかり握られていました。
窮地にあった長左衛門は、神仏の助けとばかりにその財布をいただき、死体を手厚く葬って供養し、その300両のお金を元手に、商売を盛り上げ大金持ちとなりました。それから数年後、水死者の霊をなぐさめ、また水死者が出ないようにと、大きな海灯籠を造って、壇之浦海岸に建てたということです。
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ターミナル |
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