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つかずの灯籠

 高さ 7m、底部は畳1畳半もの広さがある大灯籠です。

 この灯籠には、その名の由来である、いわくつきの話が伝わっています。

 この灯籠は、もとは壇之浦に灯台の代わりとして置かれていたもので、報国隊が桜山神魂場にならって、豊町(現 貴船町)の旭山に招魂場を造ることになり、灯籠が必要になったので、これを報国隊の隊員が運ぶ事になりました。

 隊員たちは酒を飲んで浮かれていたため、灯籠を乗せた大八車を、裏町の奥小路にあった料理屋「吉信」の格子戸にぶつけて壊してしまいました。



 当然 「吉信」の主人は怒って、隊員たちに文句を言いましたが、酔いも手伝って逆ギレした隊員に、返り討ちにあって斬り殺されてしまいました。
 主人は「その灯ろうの火を消してやる・・・」と、恨みの言葉を遺して死んでいったといいます。

 灯籠は報国隊の招魂場に置かれましたが、いくら火をつけてもすぐに消えてしまい、人々から「つかずの灯籠」と呼ばれるようになりました。
 その後、報国隊の招魂場が、桜山招魂場にまとめられることになって、つかずの灯籠も桜山に移されました。

 そして昭和11年に、高杉晋作の銅像が日和山に建てられるにあたって、なにか ゆかりのもはないかということで、桜山招魂場(神社)から、この日和山に移されました。

* * *

 この灯籠 自体の由来として伝わっている話もあります。

 幕末の頃、観音崎に長府屋というよろず問屋がありましたが、営業不振で倒産寸前でした。

 ある朝、主人の長左衛門が浜に出たところ、年寄りの水死体があがっており、その手には重そうな財布がしっかり握られていました。
 窮地にあった長左衛門は、神仏の助けとばかりにその財布をいただき、死体を手厚く葬って供養し、その300両のお金を元手に、商売を盛り上げ大金持ちとなりました。

 それから数年後、水死者の霊をなぐさめ、また水死者が出ないようにと、大きな海灯籠を造って、壇之浦海岸に建てたということです。

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