赤間神宮

八咫鏡 奉鎮の碑

 ― やたのかがみ ほうちんのひ ―

 拝殿に向かって右手に、第10代 祟神天皇から、壇之浦で崩御した第81代 安徳天皇までの八咫鏡が、赤間神宮に祀られているという石碑が建てられています。


 詳しいいきさつは、

 壇之浦の合戦が終盤に差し掛かった頃、妹尾太郎兼康の次男 宗衡時忠は、平家もこれまでかと部下に名刀 烏丸太刀と八咫の鏡を託しました。
 その部下は烏丸で源氏の手の者を打ち倒し、なんとか郷里の備中
(岡山県)妹尾に落ち延びました。

 時代は変わって、昭和33年(1958) 岡山県の郷土考古学者 春名義雄は、岡山県 英田郡 作東町 土居地区の天皇谷(昔、この地に天皇社があって、今は石垣だけが残されている)に伝わる古文献からその伝承を知り、天皇社跡から欠けた鏡の一部を発見しました。

 春名氏から、安徳天皇を祀る赤間神宮に八咫鏡を奉納したいとの申し出があり、昭和34年(1959)1月22日 赤間神宮から現地におもむき、春名氏と妹尾太郎兼康の子孫にあたる人や、地元の代表者との話し合いで、赤間神宮に奉還されることが決まったそうです。

* * *

 八咫鏡 【やたのかがみ】

 八咫鏡は、伊勢神宮に祀られているものが本物で、碑にも『第10代 祟神天皇から、壇之浦で崩御した第81代 安徳天皇までの八咫鏡』とある様に、祟神天皇の時に、天皇が三種の神器ととものに寝起きするのは畏れ多いとして、八咫鏡と天叢雲剣あめ の むらくも の つるぎ 草薙剣とも)を笠縫邑かさぬいのむら 現在の奈良県桜井市 檜原(ひばら)神社。鏡は後に伊勢神宮に移された)に祀り、儀式のための形代かたしろ 本物の神威を宿らせる意味を持った複製品)を作って、代々受け継ぐようになりました。

 その形代の八咫鏡も、村上天皇のときの元徳4年(960)9月24日と、一条天皇のときの寛弘2年(1005)12月15日、後朱雀天皇の長久元年(1040)9月5日の3度に渡って皇居で火災に遭い、灰の中から溶け残った鏡の一部を取り出して、唐櫃の中に納めたといわれています。

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