功山寺
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大内義長の墓
|
![]() |
しかし重臣の陶晴賢の反逆により、天文20年(1551)31代目の大内義隆が長門市の大寧寺で自刃。
実権をにぎった陶晴賢も、弘治元年(1555)毛利元就に討たれ、陶晴賢に迎えられて大内氏を継いでいた、豊後(大分県)の大友宗麟の弟 大友春英(大内義長を名乗っていた)もまた、弘治3年(1557)毛利軍に追われて、長福寺(現・功山寺)まで敗走、仏殿において自刃しました。
さそうとも何か恨みん時来ては
嵐の外に花こそ散れ
大内義長 辞世の歌この宝篋印塔は、明治17年(1884)に37代目の百城和尚が、裏山の竹やぶに土に埋もれて散在していたものを見つけ、寺の言い伝えから大内氏の墓であろうと、3つの塔に組んだものだそうです。
![]()
御嬪斂地 |
||||
| q | ||
q |
. | |
| . |