| た 行 |
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| 平清盛 【たいら の きよもり】 1118〜1181 |
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平安末期の武将。
忠盛の長子。
保元の乱・平治の乱で対立勢力を一掃。
1167年 太政大臣となり、武士として初めて政権を握る。
1168年 出家し、1172年 娘 徳子(建礼門院)を高倉天皇の皇后とし、一門をすべて高位、高官の職につけ全盛時代を築いた。
その後 後白河上皇と対立すると院政をやめさせ,徳子の生んだ安徳天皇を即位させ、独裁政治を行った。
そのため,反感をいだくものがふえ,各地で源氏が挙兵するさなか,熱病で死亡した。
ゆかりの地 |
| 平時子 【たいら の ときこ】 ?〜1185 |
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⇒ 二位尼 |
| 高島北海 【たかしま ほっかい】 1850〜1931 |
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日本画家。
萩生れ。
名は得三。
父は毛利藩の藩医。
明治11年 内務省地理局に就職したが、明治18年 フランスに留学し、エミール=ガレらと交友。
父から習った南画などで、当時のフランス画壇の芸術運動 アール・ヌーボーに影響を与え、フランス政府から勲章を贈られた。
明治30年 公職を辞めた後 妻の郷里 長府に帰り、同35年職業画家として出発、日本画壇の重鎮として活躍する。
絵は、山岳風景を得意とした。 |
| 高杉晋作 【たかすぎ しんさく】 1839〜1867 |
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幕末の尊攘倒幕派の志士
長州 萩藩士。
名は春風。 字は暢夫(ちょうふ)
号は東行(とうぎょう)。 変名は、谷梅之助、谷潜蔵。
松下村塾に学び、久坂元瑞とともに吉田松陰の双璧といわれた。
1862年 上海に渡航し、アヘン戦争後の半植民地化された清国の状況を見て危機感を抱き、帰国後
尊王攘夷運動の先頭に立つ。
1863年 攘夷戦の惨敗を受け、藩命により奇兵隊を編成。
その後の馬関戦争では、連合艦隊との和議にあたる。
第1次長州征伐により幕府に追われながらも、1865年 功山寺で挙兵し、藩論を倒幕に向かわせたが、維新直前の慶応3年(1867) 肺結核により死亡。 |
| 田上菊舎 【たがみ きくしゃ】 1753〜1826 |
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田上由永の長女として、豊浦郡 田耕(たすき 現 豊北町)に生まれる。
本名は、道。
幼い頃より俳句に親しみ、夫の死後、本家に戻ったが、28歳の時に剃髪して尼となり、俳道修行の旅に出る。
琴、書、詩歌、茶道の道も極め、加賀の千代女とともに、女流俳人の双璧と称された。
晩年は長府の地に落ち着き、長府印内の自宅で死去。 |
| 武内宿禰 【たけうちの すくね】 |
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孝元天皇の皇子 彦太忍信命(ひこふとおしまことのみこと)の孫。
大和朝廷の初期に活躍した伝承上の人物。
300年も生きたとされ、景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5朝に仕えたと言われている。
仲哀天皇の熊襲討伐では、天皇の死後、神功皇后を助けて、新羅を従えるなどの功績があった。
蘇我、葛城、巨勢(こせ)、平群(へぐり)など諸氏の祖先とされる。 |
| 谷玉仙尼 【たに ぎょくせん に】 |
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⇒ 玉仙尼 |
| 谷梅処尼 【たに ばいしょ に】 |
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⇒ おうの |
| 仲哀天皇 【ちゅうあい てんのう】 |
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記紀伝承で、第14代の天皇。
名は、帯中彦(たらしなかつひこ)。
倭建命(やまとたけるのみこと)の第2王子。
皇后は神功皇后。
熊襲(くまそ)征伐の途中、筑前国の香椎宮(かしいのみや)で急死、豊浦宮まで密かに運ばれ、近くの地に仮埋葬された。 |