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中山忠光 【なかやま ただみつ】 1845〜1864
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 幕末の尊攘派公卿(そんじょうは くぎょう)
 大納言 中山忠能
(―ただやす)の子。
 祐宮
さちのみや 明治天皇)に仕えたが、1863年 官位を返上して長州へ入り、下関の外国艦砲撃に参加。

 さらに1864年 天忠組の首領となり大和五条に挙兵したが敗れて(十津川の変)、長州へ逃れ、長府藩主 毛利元周にかくまわれた。
 しかし幕府の捜索が厳しくなるにつれ、各地を転々とし、1865年 田耕村杣地
(豊北町)で藩内の幕府恭順派の手によって暗殺された。

二位尼 【にいのあま】 ?〜1185
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 平時信の娘。 平清盛の妻。
 名は、時子。
 清盛との間に宗盛、徳子らを生む。

 1168年 清盛とともに剃髪し、二位尼と称せられた。
 1185年 壇之浦の戦いで平氏が敗れた際、孫である安徳天皇を抱き入水。

乃木希典 【のぎ まれすけ】 1849〜1912
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 明治時代の軍人。
 長府藩士 乃木希次の子として、江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれる。
 10歳のときに、両親とともに長府の地に帰り、16歳で萩に従学するまで、私塾集堂場において学ぶなど、長府城下で過ごす。
 幕末には、長府藩 報国隊に入隊し各地を転戦する。

 明治に入り、陸軍少佐として西南戦争に参加、軍旗を薩軍に奪われたのを一生の恥とした。
 日清戦争では、歩兵第1旅団長として従軍。
 台湾総督を経て、日露戦争には大将・第3軍司令官となり、苦戦の末 旅順を陥落させた。

 その後、明治天皇に信任されて学習院院長となったが、明治天皇の大葬当日、東京赤坂の自邸で妻 静子とともに、明治天皇に殉じ自殺した。

野村望東尼 【のむら もと に/ ― ぼうとう に】 1806〜1867
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 幕末の歌人。
 本名 もと。
 福岡藩士 野村貞貫の後妻。
 大隈言道に入門し、和歌、書を学ぶ。

 夫の死別後、剃髪。
 大隈言道
(おおくまことみち)に和歌を学び、
 高杉晋作、平野国臣、西郷隆盛ら勤王の志士と交友、庇護したが、福岡藩に捕らえられ、玄界灘の姫島に幽閉される。
 その後、高杉晋作の命により救出されて下関に迎えられ、晋作が病に倒れるとその看病にあたり、「面白きなきこともなき世を面白く」という晋作 辞世の上の句に「住みなすものは心なりけり」と下の句をつけ、最期を見取った。

 のちに防府市三田尻で病死。

 細緻にして熱烈な歌風で、詩集に「向陵集」「上京日記」「姫島日記」などがある。


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