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源義経 【みなもとの よしつね】 1159〜1189
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 平安末期〜鎌倉初めの武将。
 義朝の九男。 母は常盤御前。
 幼名は、牛若丸。 源九郎とも呼ばれた。

 平治の乱で捕らえられ、7歳で京都の鞍馬寺に入るが、そこからのがれて陸奥の藤原秀衡のもとで育つ。

 1184年 兄の頼朝の挙兵に応じて、源(木曾)義仲を討ち、一ノ谷の戦いで平敦盛、忠度(ただのり)らを殺し、1185年 総帥として屋島の戦いから、壇之浦の戦いで平氏を滅亡させた。
 しかし後白河上皇の信任を得ていたことなどから頼朝に嫌われ、鎌倉に入ることを許されず、諸国を流浪し、再び秀衡に身を寄せた。
 秀衡の没後、頼朝に屈した子の泰衡のため、衣川で殺された。

宮本武蔵 【みやもと むさし】 1584?〜1645
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 江戸初期の剣客。
 名は玄信。 二天と号する。
 播磨
(一説に美作)の生れ。

 幼少から兵法を心がけ、青年期に武道修業のため諸国を遍歴して二刀流を案出し、二天一流の祖となる。
 巌流島で佐々木小次郎と決闘して勝ったことは有名。

 晩年、肥後熊本藩主 細川家の客分となり、霊厳洞において「五輪書」を著した。
 水墨画もよくし、「枯木鳴鵙図」「鵜図」などの作品がある。

毛利氏 【もうり し】
.  戦国大名、近世の大名。
 祖は大江広元の子 季光
(すえみつ)で、相模国 毛利荘に住し毛利氏を称した。
 1270年 時親は父 経光
(季光の子)より安芸国吉田荘地頭職を譲られ、以後一族は国衆として勢力を伸張。
 元就のとき中国地方に覇をとなえる戦国大名に成長。
 元就の孫 輝元は、豊臣秀吉に属し122万石、関が原戦いで西軍に属し、周防、長門36万9000石に減封。
 以後、萩藩主として明治にいたる。


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