平安末期〜鎌倉初めの武将。
義朝の九男。 母は常盤御前。
幼名は、牛若丸。 源九郎とも呼ばれた。
平治の乱で捕らえられ、7歳で京都の鞍馬寺に入るが、そこからのがれて陸奥の藤原秀衡のもとで育つ。
1184年 兄の頼朝の挙兵に応じて、源(木曾)義仲を討ち、一ノ谷の戦いで平敦盛、忠度(ただのり)らを殺し、1185年
総帥として屋島の戦いから、壇之浦の戦いで平氏を滅亡させた。
しかし後白河上皇の信任を得ていたことなどから頼朝に嫌われ、鎌倉に入ることを許されず、諸国を流浪し、再び秀衡に身を寄せた。
秀衡の没後、頼朝に屈した子の泰衡のため、衣川で殺された。 |